2005年 05月 26日
市民記者 |
市民記者というものをはじめてから、1ヶ月半ほど経つ。
そもそも、平和学とか勉強していると、「声にならない声」というものによく直面して、
それをもっと声として発する機会を創出したくて、市民記者になった。
帰国して、すぐ応募したっけな。
始めのうちは楽しかった。
身の回りを、何かネタにならないかなー、と探しながら歩くと、
今まで見えていなかったことが見えたりして、
別に記事にするネタがなくても、楽しかった。
いや、今だって楽しいのよ、本当は。
ただ、そこまで、記事は書いていない。
この1ヶ月半で書いた記事の数は、6本。
もっと書いているような気がしてたけど、
あんまり信憑性のない記事は書きたくないから、なるべく写真つきにしよう、
とか考えてしまう。
それと、やっぱり自分の勉強している事柄からか、社会的な記事を書こうとする。
となると、どこまで言っていいのか、考えてしまう。
特に、名前つきとなると。
ブログでは容易く言えるようなことを、やっぱり慎重になって発信しようとする。
危険まで冒すことになるから。
じゃあ、発信しなくていいのか。
そのままでいいのか。
「声にならない声」はそのまま声にならなくていいのか。
発信して、自分が目をつけれてもいいのか。
万が一、家宅捜索されてもいいのか。
よく、そんな葛藤をする。
そして、だいたい出てくる答えは、「書こう」。
1ヶ月葛藤した末に書くことにした記事。
私たちの子孫の暮らしはどうなるのかを想像したときに、
とてつもない不安が押し寄せてきて、書くことにした。
さて、ブログで独り言を言ったので、また記事書きに戻ります。
そもそも、平和学とか勉強していると、「声にならない声」というものによく直面して、
それをもっと声として発する機会を創出したくて、市民記者になった。
帰国して、すぐ応募したっけな。
始めのうちは楽しかった。
身の回りを、何かネタにならないかなー、と探しながら歩くと、
今まで見えていなかったことが見えたりして、
別に記事にするネタがなくても、楽しかった。
いや、今だって楽しいのよ、本当は。
ただ、そこまで、記事は書いていない。
この1ヶ月半で書いた記事の数は、6本。
もっと書いているような気がしてたけど、
あんまり信憑性のない記事は書きたくないから、なるべく写真つきにしよう、
とか考えてしまう。
それと、やっぱり自分の勉強している事柄からか、社会的な記事を書こうとする。
となると、どこまで言っていいのか、考えてしまう。
特に、名前つきとなると。
ブログでは容易く言えるようなことを、やっぱり慎重になって発信しようとする。
危険まで冒すことになるから。
じゃあ、発信しなくていいのか。
そのままでいいのか。
「声にならない声」はそのまま声にならなくていいのか。
発信して、自分が目をつけれてもいいのか。
万が一、家宅捜索されてもいいのか。
よく、そんな葛藤をする。
そして、だいたい出てくる答えは、「書こう」。
1ヶ月葛藤した末に書くことにした記事。
私たちの子孫の暮らしはどうなるのかを想像したときに、
とてつもない不安が押し寄せてきて、書くことにした。
さて、ブログで独り言を言ったので、また記事書きに戻ります。
by maricom1
| 2005-05-26 21:41
| わたくし